相場事例その21 エルピーダメモリの破綻劇
相場事例その21 エルピーダメモリの破綻劇
エルピーダメモリは2012年2月27日、東京地裁に会社更生法の適用を申請し、経営破綻しました。負債総額は4480億円と製造業では当時戦後最大。急激な円高により、価格競争力を失い経営環境が悪化していきます。日本で唯一のDRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリー)専業メーカーで、シェアは世界3位でした。そんなエルピーダの破綻劇を振り返ります。
エルピーダメモリは1999年、日立製作所とNECのDRAM事業が統合され、NEC日立メモリという社名で誕生。翌2000年にエルピーダメモリに社名変更を実施する。2003年には三菱電機のDRAM事業も引き継ぎます。広島、秋田、台湾に生産拠点を持ち、従業員数は約6千人弱でした。
その後、世界市場で2009年のDRAM価格が急落したことや急激な円高の影響で、エルピーダの経営は大きな岐路に立たされます。2009年に日本政策投資銀行から300億円の出資を受けます。但し、この資本注入額が中途半端だったのです。借入額で1000億円を超えるシャープなどと状況は大きく異なります。1000億円あれば、「Too big to fail(大きすぎて潰せない)」状況になり、メガバンクなどからの支援を受けることができたかも知れません。
また、DRAMの主な納入先であるアップルの担当者が、2011年12月・2012年1月に日本の政投銀を訪れ、「DRAMは重要なのでエルピーダをサポートしてほしい」と頼んだそうです。アップルは、サムスン1強になることを懸念しての動きでした。ところが、政投銀は、「日本にDRAMは必要ない。韓国から買える」と言ったそうです。この発言を聞いたアップルの担当者は呆れたそうです。
エルピーダは2月27日に会社更生法を申請し、破産します。その後、スポンサー企業探しに奔走することになります。支援に名乗りを上げたのは、東芝とDRAMメーカーの韓国ハイニクス、投資ファンドの中国ホニー・キャピタル、本命のマイクロンだった。
紆余曲折を経て、マクロンは2000億円に加えて、追加で設備投資800億円を申し出た条件が最もよい条件となりました。こうして米マクロン傘下で再建を目指すことになります。なお、エルピーダは2012年3月28日に最終取引額1円で取引を終えることになります。
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